XI.人工的環境
変形菌はふつう胞子が風によって飛散して増殖するので、環境に人間が手を加えた場合
でも植物遺体があれば、飛んできた胞子が発芽して変形菌が発生することがある。また、
人間に飼い慣らされた生物に関する事項もこの中に入れることにする。
XI-1.人工林(植林)・竹林と変形菌
スギやヒノキの植林の中で、その枯葉以外に下草がないような場合は、変形菌は殆ど発生
していない。その理由の一つはスギの葉等に含まれる揮発性の油脂類が変形菌の発生に適さない
からだという。また、植林の中は暗い例が多く、子実体形成に必要な光が得られないことも考えられる。
しかし、間伐が適度になされた疎林になれば、人工林内でもスギ等の倒木や落葉にも変形菌は発生する。
しかし、その場合でも変形菌の種類は多くはない。最近は放置された竹林が問題となっている。
竹林にある生育中の竹稈や葉には変形菌はまず発生しないが、枯れた古い竹稈にはときにアミホコリ類
などの変形菌が発生する。タケの落葉にも変形菌はときに発生するが、変形体は多く見られるのに、
何故か子実体が見られない場合が多い。これは含有される珪酸によるものか、貧栄養によるものか、
理由は不明である。竹林内で最も変形菌が多く発生するのは腐りつつあるタケノコである。
これは含水量や栄養分が多くて酵母類も発生するので、ユガミモジホコリやカタホコリ類がしばしば
見られる。しかし、竹林の変形菌についてまとめた論文は見たことがない。
XI-2.田畑と変形菌
畑で生育期間が長い野菜は古い下葉が枯れていることが多く、これらが上にある葉で覆われている
場合には、適度な湿度が保たれて直射日光も防がれているので、変形菌の発生には適している。
このような発生例としては、キャベツの下葉の腐りかけた部分に発生するカタホコリ類、エンドウの
下葉のカタホコリ類やハイイロフクロホコリなどがあげられる。また、野菜畑には乾燥や土の
はねかえりを防ぐため、わらや刈草を敷いたり、土壌改良のために入れたりすることが多いが、
これらにもクサムラサキホコリやカタホコリ類、ススホコリ類などがときに発生する。稲作用の田は
一時的には水中植生または湿地植生となり、稲刈り後は乾燥地となるので、生態的変化が著しい。
この場合は稲刈り後の残り株に変形菌が発生する可能性が大きいと考えられる。しかし、農薬の影響も
あると思われるので調査してみないと発生が見られるのかどうか不明である。
XI-3.家と変形菌
日本の木造家屋では、スギやヒノキの木材が使用されていることが多いので、廃屋の腐りかけた柱や
板壁などに、しばしばムラサキホコリ類やモジホコリ類が発生する。また、わらぶき屋根には変形菌が
発生していると想像されるが、報告例は見たことがない。インド南部では屋根をココナツの葉でふくことが
多いが、屋根が古くなるとこの葉に変形菌がたくさん発生するという。Routien(1956)は、
かなり湿気のある部屋の天井の梁木に、スカシムラサキホコリが発生したことを報告している。
これは夏にはまれで、冬にしばしば見られ、約45?に点々と発生したという。彼によるとフェノールや
ホルマリン、50%カセイソーダ液などで拭いても、再び出現したと言う。
XI-4.穴と変形菌
日本の田舎では横穴を掘って、冬期にサツマイモやサトイモなどを貯蔵することがある。このような
横穴は湿気が多くて温度も適当なので、この中に植物遺体があれば、変形菌の発生には適していると
思われる。柳田(1952)は、高知市の山の斜面に掘った長さ4.2mくらいの横穴の支柱に発生した変形菌を
報告した。発生した種類はヤリミダレホコリ、クモノスホコリ、アオモジホコリ、アシナガアミホコリ、
サラノセムラサキホコリ、ツノホコリであった。
XI-5.温室と変形菌
温室はふつう温度と湿度が共に高く、まして、敷わらなどをした場合にはバクテリアなどの餌も多くなり、
変形菌の発育にとっては好条件がそろっている。従って、気温が日本より低いヨーロッパなどでも、
フシアミホコリなどの暖温帯性の変形菌がしばしば発生することが報告されている。温室は水分が
充分供給されれば、大がかりな一種の湿室培養とも言えるので、これを利用して変形菌を大量に培養する
ことも可能かもしれない。しかし、必要があればの話である。
XI-6.大気汚染と変形菌
Wrigley de Basanta(1999)はマドリードのトキワガシの生木変形菌を西部(風上)、中心部、
東部(風下)で調べた。その結果は大気汚染の強さとは逆の結果になり、種の多様性も汚染のない
西部よりも汚染の強い東部で大きかった。この原因として、生木の樹皮に強い水素イオン濃度(pH)の
緩衝作用があるためではないかと考えている。その際、汚染で最も影響を受けた変形菌はホソホコリ、
コホコリ、ハリホコリ類であったと言う。そして、地衣類が大気汚染の指標となるように、ホソホコリ、
コホコリ、ハリホコリ類は大気汚染の指標となる可能性を示唆していると言う。Adamonyte(2002)は
リトアニアの燐酸肥料工場周辺にある、7個所の落葉広葉樹林の変形菌相をフィールドワークと湿室培養で
調べた。その工場は1963年に操業を開始し、煙突からアンモニア、フッ化水素、二酸化硫黄、硫酸、
窒素酸化物などを、年間140t排出していると言う。その工場に接近するにつれて変形菌総数の多様性(SD)と
豊富度(A)は減少した。一つの例外は工場に最も近い地点で、そこは最も湿潤で腐木が多かった。
フィールドワークで得られた変形菌のSDとAも工場に接近するにつれて減少した。一つの例外は汚染源近くに
放置林で、そこには腐木が多かったと言う。重金属(鉛、ニッケル、カドミウム、クロム、銅、亜鉛)と
SDおよびAとの相関関係はヒ素を除いて見られなかったが、リター変形菌のSDおよびAと土壌中の燐酸とには
弱い相関関係があった。生木変形菌のSDおよびAは工場に接近するにつれて大きくなった。最後の現象は、
燐酸と窒素化合物の排出によって、樹皮が富栄養化したためであろうと推測している。Haerkoenen & Vaenskae(2002)は
ヘルシンキ大学の植物園における1974-1975年(28年前)と2001-2002年の生木変形菌相を比較した。28年前は
大気汚染により樹皮に2種の地衣類しか着生していなかったが、現在では二酸化硫黄、鉛、窒素酸化物、
一酸化炭素、浮遊塵などは減少し、オゾンが増加していて、数種類の地衣類が樹皮に見られると言う。
28年前は400資料の培養で6種類の変形菌が発生したが、現在では100資料で14種の変形菌が発生した。2
8年前には樹皮の平均pHは2-9であったが、現在では3-7であると言う。28年前に最も多かった変形菌は汚染に
耐性のあるイトエダホコリであったが、現在最も多い種はマルウツボホコリであり、スペインのWrigley de Basantaの
コホコリ属とホソホコリ属の種は大気汚染に弱いという結論と一致したと言う。しかし、私の経験では、
最後の結論には異論がある。高知市では車の排気ガスが直接あたるような場所の樹皮にも、コホコリ属や
ホソホコリ属の種が発生する。これは種によって耐性が異なるせいかも知れない。
XI-7.家畜やペットと変形菌
米国の変形菌学者Blackwell(1984)によれば、彼の飼っているシェトランド牧羊犬は、芝生に発生した
ハイイロフクロホコリの子実体を鼻で嗅ぎ出したという。従って、もし非常に嗅覚の発達した犬を訓練すれば、
ブタによる美味な地下生菌のトリフの採集と同じように、変形菌の採集が容易になる可能性があるかもしれない。
日本鶏は卵を産ませるためだけではなく、趣味として鳴き声や体形や羽毛の色などを鑑賞する人もいる。
このようなニワトリは自然状態の草を食べていることが多いので、その糞には変形菌の発生が予想される。
しかし、発生が記録されたことはない。外国ではイモムシ類の糞に変形菌が発生したことが記録されていると言う。
日本はかつてはイモムシ国と言ってもよかったが、現在では養蚕業が衰えているので、カイコの糞を手に入れる
ことも難しくなった。カイコはクワの葉を食べるが、クワの葉は非常に変形菌が発生する基物の一つであるので、
カイコの糞に変形菌が発生する可能性は大いにあると思う。私はこの培養を試みたいと思っているが、
未だにカイコの糞を手に入れることができないでいる。
XI-8.野焼きと変形菌
Haerkoenen & Ukkola(1996)はタンザニアのサバナの林地で変形菌の調査を行なったが、そこでは
ハラタケ目の菌類は非常に多いのに、変形菌は数種類しか見つけられなかったと言っている。この最大の
理由として現地人の野焼きをあげている。野焼きをした場合はリターや落枝などが殆どなくなってしまうので、
変形菌の発生する余地はない。日本でも田畑や堤防などで草焼きが時々行われているが、このような場所には
変形菌はいないと思われる。
XI-9.自然保護と変形菌
最近は自然保護活動が盛んで、希少植物や絶滅危惧動植物などについてしきりに新聞報道もされるように
なってきた。また特定の生物(トンボやメダカなど)を象徴的にターゲットにした保護活動も生まれてきた。
自然公園や山林などに行くと、「植物を大切にしよう」とか、「樹木を愛しましょう」とかの標語が目につく。
しかし、「落葉や腐った樹木を愛しましょう」などという標語は見たことがない。同様に菌類のための
自然保護運動もほとんど聞いたことがない。そこで変形菌を研究している者から見た自然保護とは
どうあって欲しいか若干の意見を述べてみようと思う。
XI-9-1.原生林や天然林の保存
植生がよく保護されている原生林や社寺林は樹木の種類も豊富なので、腐りつつある樹木や落葉の種類も
多い。これらを分解する細菌類や酵母菌類も種類が多いはずである。従ってそれを餌として発生する変形菌の
種類も多くなる。これは最も理想的な変形菌の生息場所である。特に、社寺林などに見られる照葉樹林は
世界的に見ても少ない森林で、日本ではこの林に多くの珍種や希種の変形菌が発生する。従って、この林は
特に保護してもらいたいと思う。これに対して、スギやヒノキなどの常緑樹の単一種からなる人工林のばあいは、
倒木には変形菌は発生するが、落葉は揮発性の油を含んでいるので、その林床には変形菌はまずいないと
言ってもよい。また別の理由の一つに林床の暗いことも関係していると思われる。もし変形菌がいてもごく
普通種に限られる。マツ林のばあいは倒木の材は多孔質のせいか、変形菌の種類は少ないが、量は非常に多い。
また林床は明るいので他の樹木が生育している場合が多く、比較的変形菌の種類は多い。従って人工林は
できるだけ間伐を進めて欲しい。
XI-9-2.山の道路縁の側溝は自然状態が望ましい
山道などの道路縁やその斜面には林縁の樹木の落葉が堆積して、自然の湿室培養状態を形成し、
変形菌の格好の住処となっている。しかし、近年は山道や登山道なども整備され、水はけを良くして道路を
維持するなどのため、道路縁の側溝や側面はコンクリート製のものが多くなっている。このような場合は
落葉が土と接することがないので、腐植土が形成され難く、変形菌は非常に少なくなる。研究者としての立場か
ら言えば、コンクリートの側溝や山の側面はあまり望ましくない。
XI-9-3.刈草は放置できないか
道路縁に生育している草は定期的に草刈が行なわれるが、刈草はどこかに運ばれて処理されているので、
放置されたりすることは少ない。しかし、変形菌にはこのような草本遺体を好む種類があり、格好の発生基物となる。
従って一部の刈草はそのまま、またはどこかにまとめて置いて、自然に帰してもらえれば変形菌と
その研究者にとっては好都合である。最近は特に、生きた草に発生する変形菌が希になっているような気が
してならない。ヨモギなどの、生きた草にしか発生しないと考えられている、モモイロモジホコリなどは、
私は未だ四国では見たことがない。
XI-9-4.倒木・落葉・落下した花や果実は除去しないで
山地や公園で風や落雷や山崩れなどで倒れて枯れている樹木を、ときには材木やその他の用途に利用するために
運搬してしまうことが多い。しかし、このような倒木は真菌類にはもちろん、変形菌や虫にとっても非常によい
住処である。また、公園などでは落葉や花や果実など、リター形成の材料となるものが燃やされたり、
チリとして処分されたりしている。腐った樹木の樹幹やリターに発生する変形菌は多いので、これらは公園などの
隅でもよいから自然のままに置いて欲しいと思う。神社などの林が少なくなっている現状では、公園を少しでも
自然状態に保って変形菌などの絶滅を防ぎたいものである。
XI-9-5.樹皮から見た街路樹
街路樹に成長の良い外国産の樹木を使う場合が多くなっている。しかし、食物連鎖の観点から考えても、
その土地に生育している樹木の中から適当なものを選択して使うほうが、最も適当と考えられる。また、
粗い樹皮は見た目が汚いと言って嫌われる場合があるが、このような粗い樹皮ほど変形菌の胞子が付着しやすく、
優れた生息場所を提供することになる。また、生木変形菌は山地にある森林より、神社や公園や街路樹の古木に
多く発生するので、変形菌保護のためにも現在の状態を見直してもらいたいと考えている。変形菌研究者としては、
ムクノキ、クスノキ、イヌマキ、イブキ、タブ、ムクロジ、イチョウ、サワラなどが街路樹として望ましい種類
ではないかと思う。