III.胞子の散布と定着
 変形菌は1つの子実体が多数の胞子を生産する。胞子はふつう10μm内外の大きさで、風や水によって散布されやすく、発芽率は高く、寿命も比較的長くて数年間は生存すると言われている。 これらのことが原因となり、変形菌の多くが世界的に広く分布していると考えられる。 しかし、胞子が散布されたとしても、水分と適当な温度がなければ発芽することはできないし、発芽しても餌や適当な温度や水分がなければ、成長して変形体を形成することはできないので、定着に際しての生理的許容度(physiological amplitude)の範囲はかなり小さく、その上、他の生物の餌になるなど、他の生物に耐性を示す生態的許容度(ecological amplitude)の範囲もあまり大きくないように思われる。 しかし、インドのSujatha(1999)らによると、ヒ素、カドミウム、コバルト、クロム、銅、ニッケル、鉛、亜鉛などの重金属を含む塩には5.0mMの高濃度でも耐性を示し、2% v/vの軽油、ガソリン、ケロシンや300μMのアゾ色素にも耐えると言うので、潜在能力はかなり高いかもしれない。

III-1.風による散布
 胞子は小さくて軽いので、その散布は風によるものが最も普通であると言われている。 Brodie & Gregory (1953)によれば、変形菌の乾燥した胞子塊は0.5m/sの風で飛ばされると言う。Eliasson(1996)は散布体の理論的モデルでは、胞子の散布はc・w・e−d/Δ(cは定数。wはもとになる島の面積、dは到達する島までの距離、Δは平均散布距離)の式で表されると言う。 日本の変形菌相が豊富な原因として、季節風や台風が考えられる。 冬の北西の風はアジア大陸の変形菌の胞子を運び、夏の南西の風や台風などは、熱帯・亜熱帯性の変形菌の胞子を運んで来るものと想像される。 しかし、日本で実際に風による散布が確認された記録はない。

III-2.雨や水流による散布
 風に飛ばされた胞子は、雨滴と共に落下することが当然予想されるが、Pettersson (1940)は実際に、雨水から胞子を採集したという。 傾斜地や崖では、下の方で変形菌が見つかると、上の方でもしばしば変形菌が採集される。 これらのことから、胞子の散布が、林の中などの小さな水流によっても起こっていることが想定される。 Shearer & Crane (1986)は、米国イリノイ州の池にバルサ材(54×50×9mm)を一月ほど沈めておいたのち湿室培養を行なった。 同時に池に沈澱した落葉などの湿室培養も行ない、ウツボホコリ、ツムギカミノケホコリ、スミレアミホコリ、アミホコリ、ハチノスケホコリ、マユホコリ、トゲヒモホコリ、マルヒモホコリ、ヨリソイヒモホコリ、スミスムラサキホコリ、Diderma diadematum, Didymium trachysporum, Oligonema flavidumを得た。 これは変形菌の胞子が水流により運ばれて、池などに集まっている可能性を示唆している。 Gottsberger & Nannenga-Bremekamp(1971)によりブラジルからDidymium aquatileとして記載された種は、現在イボミカタホコリと同種とされているが、その変形体は緑青色で、小川の水面下10-20cmを上流に向かって這ったり、水面を漂ったりしたのち石の上に這い上がって水線の少し上に子実体を形成したと言う。 現在では変形体の液体培養も盛んになされていることから考えると、水中で生活する変形体もいるのかもしれない。

III-3.節足動物による散布
 変形菌を採集していると、しばしば種々の虫やハエ類が飛び出すのを見かける。また、双眼実体顕微鏡で観察すると、甲虫の成体や幼虫が変形菌を食べている姿を見かける。 後者の場合はたいてい体中を胞子まみれにしている。 従って甲虫が胞子の散布をしているのではないかということは容易に想像できる。 Blackwell(1984)は変形菌に見られる節足動物をまとめている。 彼によると、甲虫類12科(エンマムシ科、タマキノコムシ科、デオキノコムシ科、ハネカクシ科、マルハナノミダマシ科、タマキノコムシモドキ科、ヒメキノコムシ科、ヒメマキムシ科、Ostomidae、ガムシ科、ツツキノコムシ科、テントウムシダマシ科)、双翅類、トビムシ類、ダニ類が変形菌に見られるという。 また、発生時期はジャマイカ、ルイジアナ州、コロラド州などでは2月から11月までの長期間にわたるという。

III-3-1.双翅類
 Sellier & Chassain (1976)によれば、蝿や蚊の仲間である双翅目の昆虫Epicypta testataはクダホコリやマンジュウドロホコリの変形体に産卵し、この変形体が子実体を形成したのち、成虫となって体や脚や翅に胞子を付着させて飛び出すので、胞子散布に役立っているという。 日本でも変形体にはしばしば双翅類が見られるので、胞子散布に何らかの役割を果たしているかも知れない。

III-3-2.膜翅類
 膜翅目の昆虫のうちでアリを除いた仲間をふつうハチと言い、世界で十数万種もいると言われている。 ハチが花の花粉を運搬していることはよく知られているが、変形菌でも胞子を運搬している可能性がある。 変形菌のエナガウツボホコリやタマゴホソホコリは、殆ど常にクリなどの雄花穂に発生する。 ハチは好んでこの花穂に飛来するので、胞子や菌核の運搬をしている可能性も考えられる。 しかし、今のところ確実な証拠は得られていない。 また、熱帯のコスタリカやエクアドルにあるクズウコン科のトラフヒメバショウ属の一種では20花序の内の50%に変形菌が見られたと言う。 この花はハチによって受粉されているので、ハチが胞子を運搬している可能性が高い。

III-3-3.甲虫類
 以前からヒメキノコムシ科に属する甲虫は、変形菌以外からは見出されないと言われている。 この科の甲虫は世界で6属36種ほどが知られ、日本ではツヤヒメキノコムシ、クリイロヒメキノコムシ、マルヒメキノコムシの3種が知られている。 しかし、まだ未記載の種があることは確実だと言われている。 よく見かけるマルヒメキノコムシは、成虫状態で腐った木の中などで越冬し、6月下旬頃から変形菌の子実体に飛来し、子嚢や柄に卵を産みつける。 この甲虫が変形菌を見つける方法はわかっていないが、Wheeler (1979)は、タマキノコムシ科のクシヒゲタマキノコムシ属の種は、触覚にある化学受容体で変形菌の臭いを嗅ぎ出しているのではないかと考えている。 卵は3日後に孵化して幼虫になり、変形菌の胞子を活発に食べる。 その大顎は胞子をかき込んで砕く機能に優れていると言われる。6日後には蛹化し、 その4日のちに脱皮、羽化して成虫になる。成虫の大顎の背面には胞子などを貯える袋があるという。 成虫の体に付着した胞子や大顎による破壊を免れた胞子の一部は糞と一緒に排出され、変形菌の胞子散布に役立っていると考えられている。 Blackwellら(1982)によれば、ヒメマキムシ科のヒラムネヒメマキムシ類に属する一種の幼虫と成虫は、ススホコリの着合子嚢体にトンネルを掘って胞子を食べるが、成虫は体表のクチクラ層に胞子を付着させて運搬するので、胞子散布のためには風より役立っているのではないかと考えている。 Wheeler(1984)によれば、地上生の菌類を腐生的に食べる甲虫から地下生菌食のものが進化し、それまたは前者から現在の地上生の菌食甲虫が現われ、それから変形菌食(myxomycetophagy)と他の菌食のものに分化し、更に腹菌類のホコリタケ類を食べる類と蜂の巣に住む類に分化したという。 また、タマキノコムシ科のAgathidium oniscoidesや、Anisotoma plasmodiophagaは、変形体を食べる絶対的寄生性で、この変形体食性(plasmodiophagy)は、他のマルタマキノコムシ属やクシヒゲタマキノコムシ属などの胞子食性(sporophagy)の仲間から分化したものだと考えている。 Leschen (1999)はデオキノコムシ科のケシデオキノコムシ類とタマキノコムシ科のマルタマキノコムシ類は担子菌と関係のある祖先から進化し、ヒメマキムシ科の種は微小菌類の胞子や分生子や菌糸を食べる仲間から、その他は腐生種から進化したのではないかと考えている。 またデオキノコムシ科のケシデオキノコムシ類、ヒメキノコムシ科、ヒメマキムシ科のヒラムネヒメマキムシ類はかなり世界的に広布していて、マルタマキノコムシ類は周極性または熱帯性で、タマキノコムシ科のAlsobiusなどはニュージーランド付近の種ではないかと考えている。 筆者の今までの経験では、変形菌の子実体にはカクホソカタムシ科やヒメマキムシ科の甲虫も見られるが、これらは混入種で、変形菌と密接な関係を持つ甲虫はタマキノコムシ科のマルタマキノコムシ属とクシヒゲタマキノコムシ属、デオキノコムシ科の一部の種、ヒメキノコムシ科のマルヒメキノコムシ属とヒメキノコムシ属の種である。

III-3-4.ダニ類
 Keller & Smith(1978)によれば節足動物クモ形綱ダニ目コナダニ科に属するケナガコナダニは変形菌の子実体を食べ、糞として排出された胞子は発芽可能で、胞子の散布に役立つという。 しかし、この種が変形菌との種間関係をふつうに持っているかどうかは明らかではない。 この種は各種の食品、たたみ、わらなどから採集され、キュウリなどの葉を食害することも多いと言われている。 しかし、フィールドで採集した変形菌を観察すると、その他のダニ類も多く見られるので、ダニ類の特定の仲間が変形菌を日常的に餌としている可能性は十分考えられる。

III-4.鳥による散布
 南北アメリカ大陸には300種以上のアマツバメ目ハチドリ科の鳥が生息していると言われている。 この鳥は羽ばたきながら空中で止まっているような状態(ホバーリング)で花の蜜を吸うと言う。 熱帯地方には花に発生する変形菌があるが、その場合にはハチドリがホバーリングによって胞子散布を助けている可能性がある。 また、くちばしに蜜と一緒に変形菌の胞子を付着させて運搬している可能性も考えられる。 しかし、現在のところ確証はない。Ing(1999)はロンドンのバッキンガム宮殿の庭園付近ではカエデバスズカケノキの生木に多くの変形菌が発生するが、これは幹が湿度を保つのと同時に、これを止まり木にする鳥の糞が樹幹を富栄養化しているせいもあると考えている。 このことは胞子散布と直接の関係はないが、変形菌の固体数を増加させるのに役立っていると言える。

III-5.細毛体による補助的散布
 ウツボホコリ類、ヌカホコリ類、カタホコリ類、カミノケホコリ類の一部の種などは子嚢内に管状の細毛体を形成し、この管はしばしば網となる。 また、ケホコリ属などの細毛体は子嚢内で遊離していて、弾糸となっている。 これらの細毛体は空中湿度や雨水の影響で、ねじれや伸張などの乾湿運動をして胞子を弾き飛ばすので、その散布に役立っている。 しかし、この方法では飛散距離も僅かであると考えられるので、胞子散布の補助的な役割をしていると言える。